あきっぽブログ

飽きっぽいけど通信大学卒業を目指す。

西洋建築史についての課題

こんにちはぽちあきです。

今日は大学の課題である西洋建築史についてです。

今回の課題の趣旨は自分と過去の時代の異なる西洋建築家2人との3人で、その人たちが携わった建築も含め鼎談形式でレポートせよみたいな感じです。

まず鼎談てなんですか?読み方すらわからないものを調べるのに苦労しました。

「ていだん」らしいです。皆でくっちゃべることらしいです。

下手したらやんちゃな方たちが夜な夜なコンビニ前でやってるあれも鼎談です。

ということで、とりあえず2人有名な建築家を決めました。

かの有名なハドリアヌスさんとブルネルスキさんです。

リンクとか貼るのまだ怖いので検索してみてください。

※以下は僕が調べてみたことですが事実でないこともあるかもしれませんのでご了承ください。

アウグストゥスの似顔絵イラスト

ハドリアヌスさんはローマ帝国の第14代皇帝です。
彼が皇帝になった時にはもうローマ帝国の領土が最大規模だったので

「もう領土拡大とかいいんじゃね」って治安維持や芸術関係に力を入れていた人です。

漫画「テルマエ・ロマエ」時代の皇帝ですね。お風呂好きだったんでしょうか。
管理しづらい領土を手放して反感を買ったりしてなんか嫌われたりもしてたようです。
そんなハドリアヌスさんが手掛けた建築が「パンテオン」です。
ええパンテオン。うん、有名ですよね。検索お願いします。
ローマのパンテオンは西暦100年頃にハドリアヌスさんによって再建されました。

ローマのコンクリートを使った建物は直径43mの球体が入る大きさだそうです。
直径43m、、桁やばくないですか?
1451㎡ですよ?畳数換算で795畳です。
僕がひとり暮らししてた時の部屋は6畳一間で35000円/月でした。
冬は外廊下突き当りにあるシャワー室に行くのことが毎日の修行でした。

そんな僕の部屋が132コ入るのがパンテオンです。
約1900年前によくそんな巨大なの作ったなという感じです。

続いてブルネルスキさんについてです。
ブルネルスキさんは西暦1400年代にいた人です。
友達はドナテッロさんです。ドナテッロさんてよく知らないけど芸術家だそうです。
ミュータント・タートルズにいましたよね。そう、紫のバンダナの。
ブルネルスキさんは芸術家としての活動も多かったみたいです。
そんな彼がローマで研究した後建築家としてデビューし手掛けたのが、

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」です。
これも同じく頂部ドームに約43mの球が入ります。流行りなんですかね。

この大聖堂は建築に150年ぐらいかかってるんで、設計した人や部分部分で建てた人が違うんですね。
ブルネルスキさんは最後のドーム部分の建築に携わった人です。

このドーム部分の構造が特徴的で、仮枠を組まない2重構造という画期的なものだったので多く注目を浴びたそうです。
実際調べてみると他にも見どころが多そうな建築ですが、最後の良い所を持っていったのがブルネルスキさんみたいです。

上みたいなことを頑張ってレポートにして提出したのですが、速攻不合格くらいました。
ビッグバンアタックぐらいのダメージありましたが、残りのHPで評価内容を読んだら、
・説明ばっかで鼎談してない

・参考文献載せてないじゃん
以上が主な内容でした。
要はコンビニでくっちゃべれてなかったということです。いや違うか。
参考文献て何?とやっと調べ始めたのが今です。愕然。
参考文献の記載が無いと、「自分の感想なのか」「本人が言ったことなのか」「他の人からの評価なのか」の区別がつかない。

なるほどそうか。それもそうだと。
とりあえず参考文献の探し方から始めている今です。
初歩の初歩からですが頑張ろう。終わり。